私たちにとっての「ものづくり」とは、誰かが誰かの幸せのために生み出す「もの」。
完成された製品でも、一つの部品でも。手によって生み出されるものでも、機械によるものでも。
私(加嶋智美)の父は大工でした。
昭和15年生まれで中学を卒業して大工の道に入ったと聞いています。家のすぐそばに父の勤める工務店があったこともあり、ものごころついた頃から製材所や建築の現場で父が働くかたわら、木材の切れ端や鉋屑を集めて遊んでいました。
大工さんたちの軽やかな動き、金槌の小気味良いリズム、鉋屑の目の奥がツンとするような香り、なにより家が建ってゆく様を見るのは心が踊り、なぜか誇らしい気持ちになった記憶があります。
母は、美容師でした。
昭和16年生まれ、20代前半に美容室に住み込みで働きはじめ美容師の資格をとったそうです。私が小学校4年の時に母は独立して店舗を構えました。店舗と家が一緒だったこともあり、忙しい時には床を掃いたり、お客様のパーマのロットを外したり、タオルを洗濯したり、私は手伝いとして駆り出されました。
母の手で仕上げられていくヘアスタイル、みんなご機嫌な様子で店を後にしました。また花嫁支度をするときは真剣な表情で、お嫁さんを気遣いながらも心が張り詰めているのが伝わってきます。
髪の毛1本1本にまで神経を注ぎ、和装の着付けでは、小さな体のどこにそんな力があるのかと思うほどの力と手際で、着物を合わせ帯を締めてゆきます。そうして仕上がった花嫁の姿の美しいこと。
私にとっては、父も母も職人であり、家づくりもヘアスタイルを作り上げるのも、花嫁支度をするのも「ものづくり」という感覚があります。
そして私はといえば、印刷会社で写植オペレーター兼デザイナーとして、チラシやパンフレットなどの印刷物を作る仕事を経て、時代の流れとともに2000年ごろからWebの制作やコンサルティングを手がけるようになりました。
モノづくり、製造業様をはじめ、さまざまな業種の方とご縁をいただくなかで、誰かによって生み出されるモノやコトが、誰かの幸せに繋がっていく様を日々感じています。