父が逝って70日ほどが過ぎ、やっと思い返して書いてみようと思い立った。
8月12日、父の通夜の会場である葬祭場。
係の人が案内してくれた控室は10畳ほどの和室に座卓と座布団、ハンガー掛け。
畳に上がると、微かにざらりとした感触を黒いストッキング越しに捉えた。引っ掛かりを覚えつつ壁際に荷物を置くと、側に2本の髪の毛。湿気を含んだ座布団。
「あぁ・・・」、私は今、悲しみの中にいる。なのに、こんなことに気を取られている。
久しぶりに顔を合わせた親族たちと一時を過ごしたあと、母と姉、そして私の3人が残された。
私はまず、係の人を探した。が、見当たらない。夜はいないのか、人手不足の皺寄せか、そのようなシステムなのか。仕方がないので立ち入れる範囲で掃除機を探したけどないので、着替えを取りに帰るという姉に掃除機を持ってきてくれと頼んだ。
程なく姉がスタンドタイプの掃除機を持って戻ってきたので、座卓や座布団を片付け、掃除機をかけた。これでやっと身を横たえることができる。
「こんなところに、自宅の掃除機を持ち込んで掃除する人もおらんわなあ」と父に語りかけると、母が、「父ちゃんは、いつも掃除機を抱えて家中の掃除をしてくれた」とぽつり。ああ、そうだったとその姿を思い起こした。
息を引き取ったのが早朝だったことと、翌日からお盆に入るため、通夜をその日にしようと、市内、近隣の葬祭場をあたったが、どこもいっぱいで唯一空いていた葬祭場。
そういうことか。
どんなに素晴らしいビジョンやコンセプトを掲げていても、ホームページが素晴らしくても、「あり方」は現場の細部に出る。この葬祭場は、いつのまにかどこかに「ビジョンやコンセプト」を置いてきたようだ。
いずれにしても、人の出入りがあり飲食もする場所なので、葬祭場の控室には「掃除機」を備品としておくことをおすすめしたい。
*カシマトモミ