2023年8月12日、父が82歳で他界した。
5月の終わりに階段で腰を打って整形外科に入院、その後の検査でまさかの癌が見つかり、告知の際にすでに手の施しようがないと悟った父は、延命治療はしないとその場で言いきった。
家族は誰も反対しなかった。
それが父だ。
家族と家で過ごしたいという父の希望で、腰の状態が落ち着くのをまって退院し、その後は自宅で療養をした。2階に上がれない父のために、1階の部屋を片付け介護ベッドを入れ部屋を整え、母と姉が夜となく昼となく父をみてくれた。
最初の頃はおにぎり、それからそうめんやざるそば、次にスイカ、ゼリーと食が細っていき、「何か食べれる?」と尋ねると、私たちのために無理やり思いつく食べ物の名前を言葉にした。
8月6日に父を訪ね、「何か食べたいものはない?」と聞いたら、「メロン」と返事が返ってきた。父の口から「メロン」という言葉が発せられるとは思っていなかったので、思わず「えっ?メロン?」と聞きかえしてしまった。
すでに囁くような声しか出なくなっていた父は、私にそばに来るようにと目配せし、口元に耳を近づけると、「高いメロンじゃなくていい」と言った。
急いでメロンを買いに走ったが、冷えていなかったのでひとまず冷蔵庫へ入れて私は実家を後にした。
そして数日後、母と姉の懸命な介護も思いも叶わず、告知を受けてからわずか2ヶ月余りで父は逝ってしまった。痛かったろうに、苦しかったろうに、多少のそぶりは見せたものの、声を荒げることもなく、悲観する様子も見せず毅然とした姿を貫いて。
いつも毅然として口数が少なく、ベタベタと父に甘えた記憶はほとんどない。生涯にわたり逆境に負けない強さを示し、他人の目を気にすることなく家族を守ってくれた父だった。
父が前妻(私の実母)を亡くし、今の母と再婚した時、周りからいろんなことを言われた。その時、「覚えとけ、お前(私のこと)を本当に大事に思っているなら、新しい母に可愛がってもらえるようにと願うなら、そんなことはしないはず。見間違えるな。そして、そんな人間になるな」と。
当時7歳だった私が、その父の言葉の意味を理解するには時間が必要だったが、ああ、こういうことだな。と大人になるにつれわかることがあった。
いずれにしても、父が今の母と再婚してくれたことは、私の人生において最大のプレゼントだった。
目の不自由な母を残して先に逝くことがどれだけ心残りだったか。父のいない時を過ごす母のこれからに、姉と一緒に寄り添いたい。
数年前の大雨の土砂災害で全壊した、大分県佐伯市大入島石間地区の彦神社の拝殿の建て替えが、大工だった父の最後の仕事になった。
石間は母の里で、子どもの頃大晦日の深夜に暗い細い道を歩いてお宮まで初詣に行ったことを思い出す。
一緒に行った父にとってはひ孫が、「大きいじいちゃんは、神様のお家をつくったん?」と言った。
父がいなくなっても、ここに在り続けるお宮。ありがたいなあと思う。
あのメロン、父ちゃんは食べたのだろうか。これから先、メロンを見るたびに父ちゃんを思い出すんだろうな。
*カシマトモミ